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城主安藤公「安藤公遺児の墓」
慶応4年7月、平城は奮戦空しく陥り、城主安藤公は戦火の中をいわき市桶売を経て相馬に難を避けた際、川内村上川内字羽貫立にて三歳の愛娘が病没した。
墓碑はいわき市平の諸橋久太郎氏の書で八角のコケシ人形に刻まれており、そのうち六面に遠藤悟逸、豊田君仙子、金田綱雄、河原武、中野茅炎、矢内俊晃の弔句が記されている 石灯籠はいわき市平の諸橋元三郎氏の貴信で、遺品の護り刀は井出正人氏が保管。
慶応4年7月、平城は奮戦空しく陥り、城主安藤公は戦火の中をいわき市桶売を経て相馬に難を避けた際、川内村上川内字羽貫立にて三歳の愛娘が病没した。
墓碑はいわき市平の諸橋久太郎氏の書で八角のコケシ人形に刻まれており、そのうち六面に遠藤悟逸、豊田君仙子、金田綱雄、河原武、中野茅炎、矢内俊晃の弔句が記されている 石灯籠はいわき市平の諸橋元三郎氏の貴信で、遺品の護り刀は井出正人氏が保管。